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    一人旅、気持ち的には「母と二人旅」を終えて

    10月2日(日)に、石川県和倉温泉行きのバスに乗って東京を離れ、はじまった一人旅。

    今日、東京に戻ってきました。

    一人旅でしたが、1ヶ月前に亡くなった母との二人旅のつもりでした。

    母は9月10日(土)の早朝、息を引き取りました。

    その2日前の8日(木)朝8時頃、病院から「血圧が下がり、いつ何があってもおかしくありません。泊りの準備をして来てください」と電話がありました。

    コロナ禍で、入室できるのは同居家族2人のみ。

    夫に犬の世話と留守番を任せ、父と二人、急いで準備を済ませてタクシーに乗り込みました。

    8日(木)午前中に病室に到着した時、母は父と私の顔を見て、大きな笑顔を見せてくれました。

    この頃は、もう表情を作るのも大変そうだったので、母の笑顔を見ることができて、とても嬉しかったです。

    看護師さんも「良かったね、ご家族に会えて、すっごく嬉しそう!」と言ってくれました。

    この日は、翌朝まで父と母と3人で過ごしました。

    母が疲れない程度に、タイミングを見ながら、病室に来られない親族とビデオ電話でつないだり。

    一夜明けて9月9日(金)の朝、父は外せない仕事のため帰宅。

    夜21時前に父が病室に戻ってくるまで、母と2人で過ごしました。

    病院からの電話で病室に来た時から、、、いや、その前から。

    緩和ケアのためモルヒネを使用していた母は、幻想を見るようになっていました。

    母がモルヒネを使用してから亡くなるまで約2ヶ月半、その幻想を見ている時間は、少しずつ少しずつ長くなっていきました。

    亡くなる前日、目を合わせて母ときちんと会話ができたのは、そう長い時間ではありません。

    私たちの見えない何かを見ていたり、見えない誰かと会っている時間が多くなっていました。

    病院からの電話で駆けつけて母と過ごした2日間。

    1日目は、母との会話が上手にできませんでした。

    なぜなら、母からの反応がないことが、ほとんどだったからです。

    会話というのは、相手の反応があって成り立つものなんだなと、この時あらためて気づかされました。

    そんなわけで、1日目は母に話しかけるものの、短く声をかけて終わり。それを繰り返していました。

    2日目の夕方、母と私共通の看護師の友人に、母の状態をメッセージで報告したところ「(母に)みんなの声はずっと聞こえてるよ!」と返ってきました。

    「人の聴力は最後まで残る」

    「(聴力は最後まで残るので)亡くなった直後に、本人の前で悪口を言ってはいけない」

    というのは、前から聞いていました。

    ところが、いざその場に身を置いてみると、反応がない母を前に一方的に話し続けることは思った以上に難しく、ためらいがありました。

    でも、この友人からのメッセージが、私の目を覚ましてくれたようです。

    「そうだ、お母さんはちゃんと聞いてくれてるんだ」と思い直し、その後は喉が乾くくらい、ひたすら母に話しかけていました。

    これまでの40数年間で、1日にあれだけ「ありがとう」と言ったのは、この日が初めてです。

    2日目、父が病室を出たあとは、母と2人だけのゆったりとした時間が流れていました。

    母のベッドのそばで、母の本を開いたり、編み物したり。

    病室には大きな窓があり、窓からは遠くに山が見えます。

    「なんだか、2人でどこかに旅行に来ているみたいだね」と話しかけている中で、旅の話になりました。

    「お母さん、これからいろんなところ、旅しようね。

    もう仕事(家業)のことも、お父さん(母の夫)のご飯のことも、心配しなくていいんだよ。

    自由にいろんなところに行けるよ。

    航空券だっていらないんだよ!

    私が行くところ、着いてきてね。

    どこ行こうか?とりあえずヨーロッパかな。

    (母が好きだった)スイス、それとフランスに○○(母の仏友人)に会いに行こうか。

    でも、まずはイギリスの我が家かな」

    母からの返事はありません。

    母は、確かに聞いてくれていましたが、もう言葉を発することはできませんでした。

    そんな中で、ふと思い出しました。

    私が結婚したばかりの頃(2019年)、母に「これからは1人じゃなくて、(夫と)2人で帰国するからね。」と言ったら、

    「えー、そうなの?じゃあもう、あなたと2人でどこかに行ったりできないの?」と言われました。

    「いや、そんなことないよ。なんで?」と聞くと

    「あなたと2人で、秋田に行きたいのよね」と母が言ったのです。

    そのことを思い出し、「そう言えば、2人で秋田に行きたいって言ってたよね?」と、ベッドの母に聞いたところ、

    わずかにニコッと、表情を変えたのです。

    亡くなる12時間前くらいのことで、話しかけても手を握っても、表情の変化が見られなくなっていた頃でした。

    母を見送った後「秋田に行こう」と決め、それが今回の旅のきっかけでした。

    夫も誘ったのですが、彼はどうしてもイギリスに戻らなければならず、一人旅となりました。

    でも結局、変更に変更が重なり、秋田には行かなかったのですが。。。

    その代わり、母との思い出がある場所、母が行きたがっていた場所、母が好きだった場所を旅しました。

    秋田は、そう遠くない未来に、夫と2人で行こうと思っています。

    (きっと、母が「2人で行ってきなさい」と言っているのだと思います)

    10月2日(日)に東京を離れ、10月23日(日)に東京に戻ってきました。

    旅の最後の夜だった昨夜、母との思い出の場所で過ごし、母にきちんとお別れができました。

    この旅を終える前と、終えた今日の気持ちは、明らかに違います。

    行って良かったなと、心から思います。

    旅の後は、知っている場所も違ったふうに見えます。

    八重洲の久安橋。

    初めて渡る橋じゃないのに。

    今まで見えていなかった景色でした。

    しばらく東京で過ごし、母の納骨を終えたら、夫の待つイギリスへ向かう予定です。

    東京にいる間、忘れないうちに今回の旅の様子をブログにアップできるよう、頑張って書かないと。

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