いつの間にか、日中は過ごしやすく朝晩は肌寒くさえなりました。ジョギングには気持ちのよい季節ですね。

体型維持の為にゆる〜くジョギングをしている私にとって、日常的にジョギングをすることのいちばん難しい点は、続けることです。


特に少し体調を崩してしまって数週間走れなかった後とか、旅行などで走らなかった期間の後とか、、、
ジョギングを再開し、それをまた日常に組み込むまでのプロセスが、とても高いハードルに思えてしまいます。

そんな時、背中を押してもらうために読むのが、走ることについて書かれた本です。

前回は、村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで背中を押してもらいました。


今回は、脳科学者である茂木健一郎さんの『走り方で脳が変わる!』を読んでみました。期待通り、ジョギングを再開するモチベーションが高まったので、その内容の一部をご紹介します。



走ることで「普段の仕事では鍛えられない想像力や発想力」を身につける

近年、脳神経学の分野では「デフォルト・モード・ネットワーク」という脳内ネットワークが注目されている。

脳のメンテナンスや情報の整理、気持ちや感情の整理をするという、この脳内ネットワークは「特定の課題に集中しているときには活動が低下し、なにも考えていないときに活動し始める」のだそう。

デフォルト・モード・ネットワークについて知った筆者が、真っ先に思い出したのが、ランニング中のことだそうで、

見慣れた道を走っているとき、僕の頭はからっぽになっている。音楽も聴かない。ただ、足を前に動かしているだけの状態。無意識にやっていたが,デフォルト・モード・ネットワークの活動する絶好の条件がそろっていた。

(中略)

現代の社会人の脳は、常にオンの状態が続いている。朝起きてから寝るまでの間に、ぼーっとしている時間が確保できている人なんて、どのくらいいるのだろう。スマートフォンが現れてからは5分、10分といった隙間の時間も、SNSのチェックやゲームで埋められるようになった。そうすると、起きている間にデフォルト・モード・ネットワークが働く時間はほとんどなくなる。

筆者は、ランニング中に音楽や語学学習のテープなどを聞かず、ただ走ることによって、デフォルト・モード・ネットワークを活動させて脳内の情報や気持ちの整理をし、「普段の仕事では鍛えられない想像力や発想力が身に付くだろう」と述べています。

わたしは昔から、考え事をしたいときには散歩に出たり、(悩み事やストレスで)頭が一杯一杯になったときには走りに出たりするのですが、そういうことだったのかぁ。と納得です。



「まずは1分ランニングから始めてみよう」

僕の考えでは長距離を走るより、そして速く走るより、とにかく毎日走ることが大事だ。

ということで、僕のランニングの最小単位は片道1分だ。近所のコンビニエンスストアまで走ることを、ランニングとしている。(中略)十分に心拍数は上がるし、ランニングの効果は得られる。

(中略)

運動しようと決意したとはいえ、日々の忙しさが変わるわけではない。そこで朝、自宅からコンビニまでの片道1分を走ってみた。すると、その後の数時間の体の感じ方がまったく違っていた。少し速めに走れば、しっかり心拍数も上がる。

「そっか、片道1分でもいいのか」と、すぐにわたしを動かしてくれたのが、この文章です。

さっそくやってみたものの片道1分は逆に難しく、片道3分くらいでしたが、速めに走ったら、確かに往復で身体がぽかぽかに。たったの6分間なのに。

確かに何もしないより、ずっと良い。

加えて背中を押してくれたのが、特別な準備運動をしないで走り出してしまうと言う記述。

朝は準備運動をしている時間もないので、ゆっくり走り出すことでそれを兼ねてしまう。これは独自にあみ出した方法だが、ランニングの専門家に聞いたら「それでもいい」と言ってもらえたので、そのまま続けている。

できれば1分間ゆっくり走って、そのあとは普通に走るのがベストだ。準備運動だからと特に手を動かしたり、足を高く上げたりもしない。あくまで走ることでウォームアップする。

クールダウンも最後の1分間を歩くことですませる。

筆者も書いていましたが、走り出すまでにはたくさんの心理的障害があります。

ウェアに着替え、靴を履き、外に出ることがまずとてつもなく面倒。その上準備運動は、やった方が良いとわかっていても面倒極まりなかったりします。

走りたい気分の時や通常は数キロを走り、気が乗らない時は、ほんの数分のジョグでOK。ならほぼ毎日走れそう。おかげで、ジョギング再開への壁がだいぶ低くなりました。

さて、以降は、走ること以外で心に留まった部分です。


慣れ親しんだことしかしなくなると、精神年齢は相当高くなっている

大人になるにつれ、だんだんできることが増えてくる。生活の中で、慣れ親しんだことの占める割合が大きくなる。

慣れ親しんだことしかしなくなると、精神年齢は相当高くなっていると考えていい。これは、じっさいの年齢が若くてもそうだ。新しい人との出会いもなく、新しいことにチャレンジもしない。いつもの道を通っていつもの学校・職場に通い、いつものごはんを食べる。いつものテレビを見てお風呂に入り、いつもの布団で眠る。

それもまた居心地のいい、小さな幸福だということはわかる。でも、それだけを繰り返しているうち、心は確実に老いていく。どんどん保守的になる。変化を恐れ、心に厚い殻をまとうようになる。

筆者は「それを防ぐのが『走る』という行為だ。」と続けていますが、わたしはこれを30歳を過ぎての台湾留学で実感しました。

留学前は、東京の真ん中で職中近接の生活。おいしいレストランも知っているし、これを買うならあのお店、など、今思えば狭い世界の中で、なんでも知ってる、なんでもできる気になっていましたね。



いざ東京での生活を捨て、台北に行ってみたら、一人じゃ何にもできない。最初はタクシーに乗るのだってなんだか怖いし、ATMだってうまく使えないし、どこに行ったら何を買えるのかなんて全然わからない。まるで自分が突然赤ちゃんになったような気分でした。社会的な赤ちゃんでしたね。

そんな経験をして初めて気がつきました。「あ〜、わたしが知っていたのは、極々小さな東京の一部というせま〜い世界の中のことだけだったんだな」と。

あの台北での1年ちょっとの時間は、たくさんの初めてと挑戦がありましたが、それを経て、今では変化を恐れることは無くなりました。むしろ、安定しない先の見えない人生を好んで楽しみたいとさえ思っています。

慣れ親しんだことしかしなくなると、精神年齢は相当高くなっている』きもに命じておきたい言葉です。



やることがたくさんあるときこそ『「今、ここ」に集中する』

やることがたくさんあると、頭が真っ白になってしまうことがある。脳がその処理を受け止めきれずにオーバーフローしてしまうのだ。それでは物事は進まない。課題がたくさんありすぎてうんざりするときこそ、「今、ここ」に集中すべきだ。

目の前のことをやれば、少しずつであっても物事は片付いていく。

やるべきリストに項目がずらりと並んでしまったとき、ついつい先を思って「あ〜〜〜!!!」と叫びたくなることがあるのですが、当然叫んだって項目は減らず。。。

今できること、今日できることを1つでも2つでもやれば、項目は減り、それを明日も続ければ、また更に減っていく。。。そんな当たり前のことが、たまにわからなくなってしまうことがあります。

やらなきゃいけないことだけでなく、楽しいことややりたいことも、今日できることは今日のうちに。誰だって、明日があるかどうかは約束されていないですもんね。


茂木健一郎さんの『走り方で脳が変わる!』、ジョギング再開のモチベーションを上げてくれるだけでなく、その他にも色々と気づかせてくれた一冊でした。

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