今回、2度目の甲府。
2015年に、初めて両親と訪れて以来、数年ぶりの再訪でした。
過去の写真を見返すまですっかり忘れていたのですが、当時、朝のお散歩で甲府城を歩いていたので、甲府城も2度目でした。

ホテルでチェックインをして荷物を置いたら、甲府の街をぶらぶらしながら、甲府城へ。
≫ 富山城・富山城址公園をお散歩| 北陸旅行 2022年10月
甲府城
甲府城の「高い石垣」




甲府城の「石垣の構造」


その他 甲府城で撮った写真






登ろうかどうか、一瞬迷ってしまったほど、急な傾斜の石の階段。

でも登って良かった。甲府の街が広がります。


天守台からは富士山も良く見えました。

お堀の北側にある「恩賜林記念館」が素敵でした。昭和28年(1953年)に完成した建物だそうです(情報元)。

ちなみに「恩賜林(おんしりん)」とは、
「「恩賜林」とは山梨県土の35%を占める県有林のことで、富士山や南アルプス連峰、八ケ岳の周辺など広い範囲にわたる。
1911(明治44)年に明治天皇から下賜、つまり譲渡された。(中略)
『明治天皇は、山梨県が毎年のように水害をこうむり、復興もままならない様子を悲しまれ、特別に御料林を県有財産として下さることになった。』」(以上カッコ内斜文字はこちらからの引用)
だそうです。

ゆっくり歩きながら時間をかけて甲府城を見学し、満足してお城を離れました。
日が暮れる頃、また甲府城へ

お城を後にしてから、山梨のデパート岡島百貨店やその周辺をぶらぶらしたりし、あらかじめ「夕食はここでとろう」と決めてあったレストランまでやって来ました。
店内に入ろうと思った瞬間「もう一度、甲府城の天守台から、甲府の街を見たい」という思いがわきあがってきました。
空を見上げると、太陽が傾き日没が始まっている。「日が落ちて真っ暗になる前に、あの場所に着きたい」と思い、甲府城まで小走り。甲府城敷地内の急な階段では、すでに暗くなり始めていたこともあり、足元に気をつけながらも急いで階段を登り切ると、息が上がってハアハアしていました。

天守台に到着したのは17時半過ぎ。ギリギリ、10分ほど夕焼け空の甲府の街を見渡すことができました。

富士山も、もう一度。
この時、甲府城の天守台で暗くなっていく甲府の街を眺めながら、6週間前に旅立った母へ、自分の中で母にきちんとお別れを言うことができました。49日の納骨を数日後に控えたタイミングでした。
私たち家族は、母の生前の希望で家族葬で送り出しました。家族葬なので、通常のお葬式に比べれば色々な対応に追われることも少なく、ゆっくりとお別れができたのだと思います。
でも、私にとって母を看取ってから火葬を終えるまでの数日間は、どこか他人事で、母を失ったことを心から嘆き悲しむことはできませんでした。
家族葬と言ってもやはりしなければいけないことはありましたし、その後も、友人知人への報告、自宅を訪ねてくださる弔問客の対応、種々の公的手続きなどもありました。
また2年弱の闘病を支えてきた、この生活が終わったことを、いまいち現実として受け止めきれていなかったこともあるかもしれません。

葬儀火葬後のバタバタがひと段落した後、2週間かけて1人で北陸を旅しました。母と一緒に旅をしているような気分でした。
≫ 北陸3県(石川・福井・富山)ひとり旅 | 2022年10月

北陸の旅を終えると、70代で初めてのひとり暮らしを始めることになった父が心配で、一度実家のある新潟へ戻り、初めての父と2人で温泉旅館。

そして新潟から東京へ、長野と山梨を通りながらローカル線での移動。(↑写真は松本城です)
≫ 青い松本城 | ローカル線で新潟から東京ひとり旅(10)
日常を離れた3週間の旅は、母にきちんとお別れを言うために、私にとって必要な時間だったのだと思います。

まるで導かれるようにしてやってきた甲府城の天守台から、母の思い出が詰まった甲府の街を眺めながら、心の中で「お母さん、またね」と言えて良かった。
この時が、母にきちんとお別れを言えた、私にとっての「母のお葬式」だったのだと思います。