やればできる
「やればできる」という言葉。
状況によっては、
「やってみたいけど自信がない」「気になるけど、なんとなく踏みだせない」
という時に、背中を押してくれるかもしれない、前向きで力強い言葉だと思います。
だから、たまに口にします。
やればできた
一方で「やればできた」という言葉。
「やればできた(と思う)けど、やらなかった」
その言葉からは「後悔」と、
ちょっとだけ「言い訳っぽさ」を感じてしまいます。
だから、使わないようにしています。
ほんとに「やれば第一志望校に入れた」のか?

私は受験勉強を経て、関東の大学に進学しました。
今では、母校となったその大学に愛校心を持ち、
そこに通えて良かったと心から思っていますが、
第一志望校ではありませんでした。
それどころか、模試で判定が良かったので、すべりどめに受けた学校。
「もう1年がんばって、来年、再度志望校に挑戦するか」どうか、
数日悩みました。
結果、私の答えは「浪人はせず、合格した学校に進学する」というものでした。
では、もしあの時、
「もう1年受験勉強をしていたら、第一志望校に合格できていた」のでしょうか。
できていたかもしれません、でもやっぱり無理だったかも。
「やればできた」かもしれないけれど「やらなかった」。
「やる = 来年もう1度挑戦する」という選択をしなかった。
ということは、きっとあの時、それが私の限界だったのです。
もう1年勉強するより、早く大学生になって新しい世界を体験したかった。
「やればできた」かもしれないけれど、
「やらなかった」ということは、そういうことなのだと
私は思っています。
「やればできた」と口にしないために

大学受験の話を例に出しましたが、
その後も、似たような場面はなんどかあったと思います。
この先も、明日にだって、そんなことがあるかもしれません。
そのたびに、私が自分自身に言っていることは、
「やってみたいなら、今やってみる」。
「やればできると思うなら、今やってみる」。
「今、なんとなく踏みだせない」なら、「今は」見送ってみる。
「あの時、やってみれば良かった」なら、まだかわいげがある気がします。
「やればできたけど、やらなかった」は、、、ね。
かわいげすらないなって。