こうまのプロフィール

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はじめに

はじめまして。「こうまの手仕事」を訪れていただき、ありがとうございます。

当ブログを運営している「こうま」と申します。

外国人夫と2人、イギリスと日本で2拠点生活を送る、1979年生まれの40代女性です。

このブログは、わたしの好きな「編みもの(棒針・かぎ針)」や「縫いもの」などを中心に記録した、手芸ブログです。

とは言え、イギリスや、外国人夫との日本での生活お料理など、「その時々で、興味があることや書きたいコト」も書いています。

ブログ名の由来

kouma
ブログ名「こうまの手仕事」は、わたしのブログ上での名前「こうま」が「手先を使ってした作業(手芸やお料理など)」という意味です。

その「こうま」という名前の由来についてお話ししますね。

こうま」は、私と彼(現在の夫)が付き合いはじめた頃、彼がわたしにつけてくれたニックネーム「Little Horse(リトル・ホース」の日本語訳です。

当時、ミュウミュウのハイヒールサンダルがお気に入りで、デートの時に良くはいていました。ところが片方のヒールが少し壊れていて、歩くたびに「カパッカパッ」と音がしていたのです。

それで彼が「こうま(Little horse)みたいだね」と笑い、しばらくの間、それがわたしのニックネームになりました。 それまでのわたしの人生、ニックネームをもらったことがなく、とても嬉しかったのを良〜く覚えています。

そのニックネームを日本語に訳したものを ブログ上での名前に選びました。



子ども時代

出生は東京ですが(母が東京出身なので)、高校卒業まで新潟市で育ちました。

とんだりはねたりするよりは、1人静かに本を読んでいる、良く言えばおとなしくて手のかからない子、悪く言えば存在感の薄いタイプだったと思います。

はじめての手芸は、かぎ針編み

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記憶にある初めての手芸体験は、母方の祖母の手ほどきで始めたかぎ針編みです。

3歳の時でした。

編んだのは、淡いオレンジ色のななめ掛けのポシェットです。

残念ながらそのポシェットはどこかにいってしまい、写真すら残っていないのですが、「自分でつくった!」「作るって楽しい!」という強烈なインパクトを感じた初めての経験だったような気がします。

あと、リリアンで、何に使うか分からないヒモも、良く作っていました。

ミシン手芸に夢中だった 10代

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中高校生になると、かぎ針編みから、いったん離れます。

母に買ってもらったミシンで、スカートやパンツ(ズボン)、ワンピースなど、身につけるものを自分サイズで作っていました。

手ぬいでは、毛足の長いファー生地を使ったテディーベアや、もこもこ生地で冬の帽子を縫ったりもしていました。

お菓子作りも良くしていました。

でも、時々失敗して「母に失敗作を見つかる前に、なんとかしなくちゃ!」と、作ったものを全部食べて胃の中に隠していたのも、今では良い思い出です。

高校3年生にもなると、受験勉強が忙しくなり、手芸もお菓子作りもお預けになりました。(後半に書きますが、そのお預けがその後15年以上も続いてしまいます)

東京でのお勤め時代

子どもの頃から、夏休みなど長期のお休みは、母の実家である、東京の祖父母の家で過ごすことも多かったからからでしょうか。大学選びは、自然と東京の大学が選択肢になりました。

結局、大学時代を過ごしたのはお隣の横浜市でしたが。

卒業後は、東京で複数の企業に秘書として9年間お勤めしました。

行動力も吸収力も高く、元気な若い時こそ、都心で暮らすべき!」と思い、新卒で働きはじめた1ヶ月後には、東京のど真ん中(青山、のちに麻布界隈)に引っ越し、そこで計9年間を過ごしました。

今考えると「良くやったな」と思います、色んな意味で。

20代で棒針編みを始めるも、趣味(手芸)は、ほぼ封印

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10代の頃から憧れがあった「棒針編み」を 20代前半に始めました

本屋さんで、初心者むけ棒針あみの本を買い、針の持ち方から見よう見まね、独学で学んでいきました。

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ただ20代は、ほとんど「手芸」に時間を費やしていません。

大学時代は遊びや勉強(一応「べんきょう」って書いておきます 笑)に忙しく、就職したら「働くこと」がおもしろく「学ぶこと」もたくさんあったので、「趣味(手芸)になんて時間を使っていられない!」と思っていました。

例外は、年末年始やゴールデンウィークなどの長期のお休みで実家に帰省する時で、お休みの数日で完成させられるような小物を帰省時に作るくらいでした。

31歳で、台湾留学

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2010年31歳の時、会社をやめて台湾で14ヶ月間、語学留学をします。

30歳前後って、多くの女性にとって人生のターニングポイントだったりしますよね。

わたしの場合、29歳頃から友だちの結婚ラッシュが激しくなり、出産する友だちも増えていきました

友だちの結婚も出産も、おめでたくて嬉しいことなのですが、自分の中になんだかモヤモヤしたものがあったのも事実です。

きっと、その時いた場所に満足していなかったんでしょうね。

会社員として働きながら、自由な1人暮らしを楽しむ一方で、結婚の予定どころか、彼もいませんでしたから。

勝手に、周りと比べて焦っていたのだと思います。

そんなとき、ふと「今、友だちが持っていなくて、わたしが持っているものは何だろう?」と思ったのです。

その答えが「自由」でした。

今のわたしのアドバンテージ(有利な点)は、自由なことだ!」と思いました。「思った」というより、当時は「ひらいめいた!」という感覚でした。

続いて自問したのが、「ずっとやってみたいと思っていて、まだ実現できていないことは何だろう?」ということです。

わたしの場合、それは留学でした。

もしも結婚していたら、自分でひとりで留学なんて決められないし、子どもがいたら尚のこと。

そう思ってからの行動は、けっこう早かったと思います。

2ヶ月後には留学を決め、7ヶ月後に会社を辞め、8ヶ月後には台湾で1人暮らしを始めていました。(あれっ、早くない?)

30代の留学は、結果、心の底から「行って良かった」と思いますが、大変なこともたくさんありました。というか、大変なことだらけでした。

まあ1番の収穫は、今「夫」として私のそばに居てくれる、彼との出会いでしょうか 笑。

海外で多くの時間を過ごした30代

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台湾留学を終えた後、1度日本に戻ります。

が、本帰国から半年経たないうちにシンガポールへ移住。

彼(今の夫)が、台湾からシンガポールにビジネスの拠点を移し、現地で新生活をスタートさせていたので、わたしもついて行った感じです。

語学力(英語&中国語)の低さに、うちひしがれる毎日

シンガポールで3年過ごすうちに、苦手な英会話が少しは上達しましたが、英語力のなさに打ちのめされることが、とても多かったです。

台湾でもシンガポールでも、言葉が通じなくて、悔しい思いをたくさんしました。

今でも、日々言葉の壁にぶち当たりますが、シンガポ—ル時代に比べれば確実に、その壁は低くなっていると感じます。(ちなみに、英語は年々上達していると思いますが、中国語は超初心者に戻ってしまいました 泣。

語学習得は時間かかりますが、日本語以外の言語が話せるようになると、世界はぐんと広がります

「幼少期から始めないとだめ」と言われますが、わたしは何歳から始めても、決して遅くないとおもいます。外国語は、その言葉を使う人たちとコミュニケーションを取る、ただの道具です。

外国語を学習する目的にもよりますが、要は、自分の思いを伝えられて、相手の言いたいことがわかればいいのですから。

完璧とかないですもんね。自分が普段完璧な日本語を話しているかと言ったら、、、どうでしょう?



手芸を再開するも、なぜか罪悪感を感じる

台湾では週5日で学校に通っていましたが、シンガポールでは学校へ行っていたわけでも、仕事をしていたわけでもないので、毎日たっぷり時間がありました。

両手にあまるほどの暇を与えられると、15年もの長いあいだ「趣味(手芸)なんてやってる暇ない!」と、がっちり封印してきた「手芸をしたい」という欲求のドアが、ようやく開かれました。

でも、手芸を再開しはじめたばかりの時は、「いいのかな、こんなこと(編みものとか)やっていて」と、罪悪感にかられながら手を動かしていました。

今考えると、なぜそこまでかたくなに「趣味(手芸)」を悪者にしていたのだろう、、、とも思うのですが。

イギリスと日本、2拠点生活の始まり

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(写真は、ロンドン・リバティーデパートの手芸売場です)
2014年のクリスマス前、彼の仕事の都合や(彼の)母の介護のため、3年間暮らしたシンガポールを離れます。

ここから、わたしの日本とイギリスを行ったり来たりする2拠点生活が始まります。

シンガポールでは彼との2人暮らしでしたが、イギリスでは、彼の家族との同居生活です。色々いろいろ、大変なこともありました。

でも、実は大変だったのはイギリスでの生活だけではありません。

高校を卒業後、15年以上ぶりの実家での暮らしも、最初はなかなか大変でした。

特に大人になってからの母との暮らしは、コツと言うか、なんと言うのでしょう。

何かをつかむまでというか、とにかく慣れるまでは結構ストレスフルでした。(もちろんこれはお互い様で、しばらくは母も大変だったようです。父とは、たぶんお互いに始めから遠慮がある分、平気でした。)

自分の好きな手芸ジャンルがわかってくる

シンガポールで手芸を再開した直後は、とにかく気になるもの、やりたいものを全部やっていました。

そうやっていると、だんだんと自分の好きなジャンルがわかってくるものですね。イギリスと日本の2拠点生活を始めた頃には、「特に好きなのは編みもの」ということがわかりました。

これは嬉しい気づきでしたね。色んなジャンルの手芸を試している時は、手芸道具が増えて困りましたから。

その後、独学で勉強してきて自信がなかった「棒針編み」を体系的に学びたいと思い、日本ヴォーグ社の棒針編み通信講座(入門科)を受講したりもしました。

>> ヴォーグ 棒針編み通信講座(入門科) 記事一覧

現在 と これから

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台湾で知りあって以降、9年弱にわたる長いおつきあいを経て、2019年にインド系イギリス人の彼と、国際結婚をしました。

これまでは、主にわたしが、イギリスと日本を行ったり来たりする生活を続けてきましたが、今後は変わっていきそうです。

新型コロナウイルスがイギリスで流行する少し前、イギリスの親を無事に見送りました。

これからは、彼が日本で過ごせる時間が増えそうですし、そもそも「イギリスか日本、どちらかにメインとなる拠点を決めよう。」という話も、し始めています。

いずれにしろ、新型コロナウイルスが終息しないことには、国をまたいでの移動は難しそうですが。

40代でやりたいこと

20代では、会社員として働きながら、日本社会での生活を学びました。

30代では、海外で暮らすことの大変さや面白みを感じながら、外国で生活するための基礎的な力をつけました。

始まったばかりの40代では、この先、自分が毎日楽しく過ごせるコトやモノ、方法を探していきたいと思っています。

「人は死に向って生きている」と言いますが、限りある人生、どうせなら楽しく過ごしていきたいな、と思います。

既に大好きとわかっている手芸のこと、イギリスや、外国人夫との日本での生活お料理など、自分が毎日楽しく過ごせるための試行錯誤を ブログに書いています。

記事を読んでの感想・意見・質問など、お気軽にコメントやメッセージをいただけると、とっても嬉しいです。